「子どもの問題について当事務所より
核家族が当たり前の時代になって、随分経ちました。かつては、両親や地域の方々の力を借りながら子育てができていました。が、今の時代は、両親だけ、あるいは母親だけに子育ての重圧がかかり、歪んだ状況を生み出しています。
子育てにかかわる環境も様変わりしました。特に女性は、仕事も、自己啓発も、結婚も、子育ても、すべてを並行させることが不可能ではなくなったのです。
勉強や仕事は、自分が頑張れば結果が出せることは少なくありません。しかし、結婚や子育ては、自分の価値観のみで、どうにかなることばかりではないのです。
「子育ては、親育て」と言います。子どもを育てることで、親である自分も育ててもらっています。
自分がしっかりしてさえすれば、子どもは健やかに育つという時代ではないのです。
子育て世代の親は精神的に余裕がないので、子どもに対して、つい目先の「学校の成績」や「身近な友達関係」に目を奪われてしまいがちです。
しかし最終的な親の役目は、子どもが成人したときに「自分一人で生きていく力をつけさせること」。これに集約されると言っても過言ではないでしょう。
人間は「総合力」です。学生時代、勉強やスポーツができても、性格が悪かったらどうですか。将来的に、成功できないかもしれません。
勉強や仕事ができても、人徳がなかったら、大きな仕事はできません。
人間、自分一人でできることは、たかが知れているのです。
家庭は、最も小さな社会です。
まず家庭内で、両親が自分の役割をしっかり認識し、足りない部分はパートナーに補ってもらう。
パートナーの足らない部分は自分が補う。 両親がお互いを必要とし、尊敬し合い、お互いの意見に耳を傾けることができるような家庭で育った子どもは将来、自分が支え支えられるパートナーに出会うことでしょう。
子育ては、一筋縄ではいきません。自分がちゃんとしていても、ケチをつけられることもあれば、いじめに遭うことがあるかもしれない。
親に反抗するときが来るかもしれない。無気力になってしまうことがあるかもしれない。
事前に準備もせず、学校やいじめた相手にクレームをつけたり、悪者捜しをするのではなく、冷静に状況を判断する必要があります。
最も大切なことは、夫婦・親子のコミュニケーションです。日頃の夫婦間・親子間での会話が、家庭を守ります。
誰しも問題が起きたとき、つい人のせいにしてしまいます。
「いじめる相手が悪い」「学校の管理体制が悪い」「夫が(妻が)もっと子どものことを考えてくれていたら」などです。
確かにそんな一面もあるでしょうが、まず自分を振り返ってみてください。
ご自分がストレスを抱えていませんか? そのストレスが、子どもに反映しているのではありませんか?
子どもが問題行動を起こしたなら、「最近、我が家は会話(笑顔)が少なくなったのではないか」「夫(妻)と向き合っているだろうか」と考えるべきなのです。
「子どもの問題」の実例
私の長男は、高校1年生の時に、いじめに遭ったことがある。
本人の了承のうえ、我が息子の経験談をお話しする。
息子たちが小さな頃から、私の持論は、「勉強は押し付けられるものではなく、自ら望んでやるもの。」「学校の成績より性格優先。」
長男の勇気(仮名)は、小学生の時から学校の成績は良くなかったが、おおらかな性格で友達も多く、何かと人気者であった。
その勇気が、第1志望の高校に入学間もない頃から、今まで見せたことのない暗い表情で、学校から帰ってくるようになった。
友達ができない、数人の子たちから、ちょっかいをかけられるのだと言う。そんなことは未だかつてなかったので、私は彼の下校時刻にはなるべく家にいて緊張をほぐすようにしてきた。
精神分析を学んだ私としては、「いじめを受けるのは、自らの『輝き』が足りないから」という考えだったのだ。
もちろん、毎日ヒドイ目に遭っていたわけではない。何も起きない日もあった。「このまま本人がしっかりしていれば、いじめは自然になくなるのでは?」という思いもあり、大ごとにするのは控えたかった。
2年生になればクラス替えもある。「学校で嫌なことがあれば必ずお母さんに言ってね」と言い、とにかく1年間は親子で情報を共有し、耐えようと思っていた。
ところが年明け、あと少しで1年生が終わるという頃、我慢の限界がきた。
2月のある日、朝起きてきた勇気の表情を見て、私は「今日、学校に行かせてはいけない」と、母親としての勘が働いた。
私は学校に電話をかけた。「今日、学校を休ませます。息子はクラスで酷い目に遭っています。今日学校に行かせたら、新聞沙汰になるようなことが起きるかもしれませんので、登校を見合わせます。」
学校は、すぐ動いてくれた。担任の先生が、授業の1時間目が始まったころに電話をくださり「必ず勇気くんを守ります」と約束してくださった。勇気は1時間目の授業中、職員室に登校し、これまで起きたことを細かく先生に話したらしい。
その後の学校の措置は迅速であった。校長先生、担任の先生をはじめ学校の先生方が一丸となって、解決に力を貸してくださった。
当日すぐに、いじめの加害者と名前の挙がった子たちを別々に職員室に呼び出し、事情を聞かれた。その日の放課後、彼らを下校させず、それぞれの親御さんを学校に呼び出し、翌日から3日間の停学を申し渡された。
後に、校長先生から事の顛末をお聞きした。いじめの相手方は8人もいたのだ。
私は息子を全面的に支えてきたつもりでいたが、実は彼も全てを私に打ち明けきれていなかったことを知った。我が息子ながら10ヶ月間も、よく耐え踏ん張ってきたものだと思う。
いじめは、見事に鎮静化した。1年生が終わるまでの約1ヶ月間、何事もなかったような日が続いたらしい。
学校側のはからいで、2年生の進級時には、その8人と別のクラスになった。
その後、勇気はどうなったのか。
高校を卒業するまで、人間関係で揉めることは一切なかったのだ。
2年生に進級してから間もなく「大学に進学したい」と言い始めた。高校入試直前以外勉強らしい勉強などしたこともないのに「このままで終わりたくない」という彼の決心は一時もブレることはなかったのだ。
大学のオープンキャンパスにも複数参加し、進学したい大学・学部を真剣に考えていた。
某通信教育に籍を置き、受験勉強を始めたのは2年生の夏休み明けからである。その通信教育のシステムが本人にピッタリだったのだろう。高校入学時、320 人中305位だった実力テストの順位は、3年生の夏休み明けには学年2位まで急上昇する。その後も懸命に努力を続け、年明け2月には、無事第一志望の大学 に合格した。
現在彼は、地方公務員として、市民の生活のため力を尽くしている。
当時を振り返り、今から考えても学校側の措置はほぼ完璧だったと思う。
一般に言われている学校側のいじめへの対応を鵜呑みにしていた私は、失礼ながら「学校を信用してはいけない」と思っていた。
しかし、この度のことで「学校は信頼すべきところ」と実感した。家族だけでは、とても息子を支えきれなかった。そして、保護者側も学校から信頼される人間にならなければならないのは、もちろんのことである。
息子が高校を卒業するまで、私は参観日や文化祭など学校に行く度、近況報告のため校長室を訪ねた。校長先生も毎回、快く応じてくださった。卒業式の日も、式終了後、3年間お世話になったご挨拶と大学に進学する旨申し上げた。
単に一保護者である私が、担任の先生だけでなく、校長先生や司書の先生と差しで話せる機会をもてたのは、いじめに遭ったからなのだ。
今となっては、この経験も決して無駄ではなかったと思っている。
また、勉強は本人がする気にならなければ、身につかないものである。具体的な目標とやる気があれば、学年で「300人のゴボウ抜き」も決して不可能ではない。
親は、子どもが勉強しやすい環境を作り、親自身が謙虚に学ぶ姿勢を見せることだ。
そして、子どもの適性を見抜き、その子に合った接し方をする必要がある。
私は、息子から多くのことを教わった。社会人となった息子からは教わることばかりの日々である。